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インターネットで知り合った

2001年、世間は二十一世紀だというのにオレは腐っていた。

先にオレの環境を説明すると、家族構成は両親と弟と愛猫が沢山。

家は自営業の居酒屋でオレは店を毎日手伝っていた。

弟は家から二駅先の工場に就職していた。

毎日食う寝る店手伝いの繰り返し、楽しみといえばゲームと漫画ぐらい。

典型的なヲタ丸だし。

腐っていた、というのはそんな有様でもいいと自分で自分を腐らせていたんだと思う。

それでもただ一つの憧れがあった、

「恋愛」

憧れがないやつなどいない、人は常にそれを求めるものだ。

でもどうすればいいか分からない。

友達に

「オレは店のせいで出会いがなくて」

とぶざまな言い訳をする。

まさに腐った馬鹿だ。

そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、中学からの友達に彼女が出来た。

こいつの名はB。

中学の時同じクラスに中村という姓が二人いて中村A中村Bとあだ名されたのが由来だ。

でこのB、お世辞にもカッコいいとはいえない。

あたまは天然パーマでもじゃもじゃ中学の頃からだらしないで有名だった。

オレは聞かずにはいられなかった。

「どうやって彼女見つけたの?」

Bはニヤリとして歯並びの悪い口を開いた。

「インターネットで知り合った」

予想外だった。

インターネットと言われてもちょっと前に話題になったウィンドウズ98が云々ぐらいしか知らなかった。

Bがパソコンに詳しいのは知っていたが、そこから彼女が出来るなんて… Bの話ではインターネット上で文字による対話から親しくなり実際に会うまでに至ったという。

信じられね~と言いつつ、羨ましいと思った。

そしてオレは思いつく (パソコンはないが、携帯ならオレにも出来る) 携帯にもそのような掲示板サイトがあるのは知っている。

利用した事はないが、Bのニヤついた顔を見ていると、負けたくない!と良く分からない闘争心が沸いた。

オレは携帯コンテンツの中からコミュニケーションの項目を見つけ、一番利用者の多いサイトを選んだ。

「ユーガットメール」

なんともアレなサイト名だが入ってみて驚いた。

こんなにも沢山の人が利用しているんだ、と。

出会い以外にも色々な掲示板があるようだ。

でも、まずはやはり出会いの掲示板に行くしかない。

ちょっと困惑した。

この掲示板にいる女性はイヤに高飛車で、男は明らかに女性に媚びている。

こんなところで

「恋愛」

は見つかるだろうか…不安になった。

数週間もすると最初の不安の理由が分かってきた。

要するに男がバンバンメールを送るもんだから、それなりにあしらうようになり冷たい印象を受けたのだ。

それもそうだと納得。

なるべくガッツかない様なメールを送ればいいって事。

これは正解だった。

直接メールをやり取りする仲になった子も何人か出来た。

でも・・・ なんとも言えない違和感があった。

簡潔に言えばこうだ

「メールしていても楽しくない」

やはりと言うか基本的な問題で、オレはゲームや漫画の話を望んでいた。

自分が一番楽しく話せるモノがソレなのだ。

話を切り出してみようと思っても、卑下されるのがオチだ、そう思い込んでいたし恐らくそう的外れでもない気がした。

どうにも発展しない、恋愛が遠のく・・・近づいてもいないが。

半ば諦め気分で、ゲームの掲示板に行くのもそう時間はかからなかった。

ゲーム掲示板は楽しかった。

同じ趣味を共有し深く話せるのはとても魅力的だ。

オレは調子に乗って出せる限りの知識をひけらかした。

恋愛はベルリンの壁の向こうに行ってしまったが、オレはそれでいいと思った。

とにかく居心地が良く。

ここに常駐する事に疑問はなかった。

やがてハンドルメーム

「ピアス」

は掲示板のちょっとした有名人になった。

掲示板で挨拶をする、特定の常連から挨拶が返ってくる。

自分に存在感があるのが嬉しかった、店で

「いらっしゃいませ」

と言うのとは違い、相手に興味と理解がある関係。

もうすでにこの頃恋愛への憧れは心の底に沈んでいた。

そんな至福の場に

「荒し」

が現れた。

今まで経験した事のない不快感に襲われた。

仲の良い常連に暴言を浴びせる

「荒し」

に我慢がならなかった。

今ならスルーが当然だが当時それが出来なかったために反応してしまい、自分も荒しと同じ様に掲示板を汚していた。

事が収まった頃、オレは落ち込んだ。

みんなに迷惑をかけたことに。

気にするなとメールを貰うがここにはもういれないと思った。

沢山の励ましのメールを貰い嬉しかったが出て行く意思に変わりはなかった。

ある一つのメールを貰うまでは・・ 彼女の名は

「きよら」

と言った。

今まで話した事も書き込みを見た事もない名前だった。

内容はこうだ

「いつもあなたの書き込みを楽しく見ています。でも、今日のあなたは嫌です。あなたが出て行く必要はないです。気にしないでまた楽しい書き込みしてください。」

何か彼女のメールに惹かれた。

励ましのメールの中でも

「嫌です」

と書いてあるのはこのメールだけだった。

みんなは落ち込んだオレを優しく励ますが、彼女は思ったことをそのまま送ってきた様に思えた。

オレはゲーム掲示板に残った。

彼女が見てくれていると少しの期待とまた話したいとの欲求、沈んでいたいた恋愛への憧れが頭のてっぺんまで浮かんできていた。

その機会はすぐにやって来た。

オレの書き込みに彼女はすぐに反応してメールをくれた。

話してみると彼女はオレ以上のゲーマーだった。

こんなに話の分かる女性がいたのは驚きと同時に嬉しかった、運命を信じるかと問われれば

「信じる!」

と迷わず答えるほどに。

彼女への好意はいつのまにか憧れになっていた。

実際に逢ってみたい!その思いは日に日に強くなっていった。

きよらさんと直接メールするようになるのは早かった。

色々な話をした。

さり気なく彼女の事を聞きだし、分かったのは彼女の家は車で10分ぐらいの近場と言うこと年齢は一つ上という事、最も重要な彼氏はいない事。

例えは悪いが不動産屋で

「こんな良い物件マジでいいの!?」

「お客さん、ついてますよ♪」

といった感じである。

これは最初で最後のチャンスかもしれない・・・100人が同じ状況に置かれて100人が同じ答えに達するだろ? 少なくとも、オレはそう思い、全力疾走で

「きよらさん」

と付き合うべく慎重に事を進めた。

そして頃合を見計らい実際に逢おうという趣旨のメールを

「これで断られたら終わりだが、それでもいい!」

の決意で送信! メールが返ってくるまでの時間が46億年にも感じられた。

多分携帯を凝視して硬直してたと思う。

メールが来た。

返事は・・・

「え~いいですよ」

ありがとう。

なんかよくわからないモノに感謝した。

それから日時場所を決めた。

「すいません、あんまり居酒屋とか知らないんだけど・・・」

と情けないオレ。

「なさけないぞーシンイチ!」

ときよらさん。

ごめんなさい・・・そういえばオレだけ名前教えてた。

「あ、そういえばきよらさんの名前って・・・?」

ちょっと聞かない方が良かったかなと思ったが

「私はフクミよ」

フクミさんと言うのか、とこの時は信じきっていた。

それから当日までソワソワする日々が続く。

どんな人だろうか、美人かな、やばそうな人だったらどうしよう・・・なんかどんどん悪いほうへ。

とにかく期待と不安が入り混じるってやつだった。

久しぶりに弟が部屋に来て

「お兄ィ彼女でも出来た?」

と聞いてきたオレが何で?と聞くと

「なんか明るくなったから」

・・・そんなに根暗かオレは?でも明るくなったというか生活に楽しみが出来たってのが正解だろうな。

話は前後するが、ユーガットメールをやり始めた頃、高校の同窓会があった。

同窓会と言っても仲の良かった数人と担任だけのささやかなやつ。

新宿まで出て数年ぶりの再開。

当然と言うか話題は女の話になった。

みんなもぼちぼちといったところのよう。

そこで出会い系の話になった、オレ今やってるんだと話すと、大丈夫か?とか風俗嬢もいいぜ、なんて色んな意見が出た。

大丈夫だよ楽しいから。

そういやお前ら、高校のときオレに彼女できたらハブにしたっけな・・・そんな事思い出しながらいつまでも変わらない友を肴に宴会を楽しんだ。

担任が別れ際に

「がんばれよ」

と言った。

高校の頃から店を手伝っているオレへの励ましだ、オレはニッコリ微笑んで返した。

解散となりオレは帰り道が同じやつと電車に乗り込んだ。

「みんな変わらないな」

とオレ。

「それでいいじゃん」

まったくだ。

でもオレは変わろうとしているんだ。

良い事か悪いことか分からないけど、自分でそうしたいと決めて前に進もうと今歩き出したんだよ、そんな事お前には恥ずかしくて言えないけどな。

友達と別れ一人、目の前に眠っているカップルがいた。

彼女は彼氏の方にもたれ掛かり気持ちよさそうだ、オレはユーガットメールでこのカップルのようになれる相手を見つけられるだろうか。

夜11時、自分の駅に着く。

風はまだ冷たいが街灯に照らされた街路樹には桜が咲いていた。

今日フクミさんと逢う。

精一杯のお洒落をして部屋で心を落ち着かせた。

あくまで自然にフクミさんを警戒させないよう振る舞う、それが第一だ。

今日しくじればフクミさんはゲーム掲示板からもいなくなり、一生に一度の出会いかもしれない理想の女性をもう少しでゲットというところでぬいぐるみを落下させてしまうクレーンゲームの如く失ってしまうのだ。

「そこまできて何故落とす?もう一回だ!」

そうはいかない。

この勝負にもう一回はない正真正銘の一発勝負なのだ。

そして時が迫る。

約束は午後六時。

意を決して腰を上げると弟がいた。

「兄ィどっかいくの?」

「ああ、迫る決戦の時だ」

「はぁ?」

玄関を出てオレは戦場へ向かう。

空はじわりじわりと雨雲がかかり不安なオレの心を逆なでした。

せめて晴天なら肩で風を切り桜の匂いに勇気付けられ足も軽くなるだろうに。

暗い駅は通勤帰りのサラリーマンに溢れていた、皆下を向き雨が降り出す前に帰ろうと足速に家路を急ぐ、オレは顔を上げサラリーマンの流れと反対に約束の場所へ向かった。

十分前に約束の場所に着いた。

フクミさんはまだ来ていないようだ、でも何処かでオレを観察しているかもしれないと周囲を見回してみる。

考えてみればゲーム掲示板なんかにいる男と逢うのだ警戒しない訳がない、その可能性もあるだろうと思った。

それらしい人物は見当たらない。

オレは改札から出てくる人に目を向けた。

フクミさんと同い年ぐらいの女性を見つけるたび、あの人だろうか?あの人だろうか?帰宅ラッシュで人も多く緊張しっぱなしだ。

頭の片隅に追いやっていた最悪ドタキャンされるかもしれない、なんて事態まで想像してしまう。

ダメだ、もっと前向きに前向きに… そして長いような短いような間を携帯をチラチラ見ながら時間が来る。

やはり無理なのか。

オレには恋愛は無理なのか。

フクミさんが来ない現実に目を閉じ、がくりと首を下げる。

これじゃあ帰宅途中のサラリーマンと同じだ、いや迎えてくれる家族がいるだけ彼等の方が恵まれてるし幸せだ。

くそっ…悔しさで閉じていた目を開いた、ふと気がつくとオレの前に立ち止まるブーツを履いた女性の足が見えた。

顔を上げると睨むような探るような目でオレを見上げる女性がいた。

例えて言えば背の小さい青木さやかといった感じで気の強そうな印象を受ける、無言でじっと見つめてくる彼女にオレは恐る恐る口を開いた。

「フクミさん?」

プッと彼女は吹き出した。

多分オレと同じくゲーム掲示板住人に警戒していたんだろう。

とりあえず見てくれでドタキャンされなくて一安心だ。

「想像と違った」

と彼女、フクミさんは言った

「じゃあ行こっか」

「あ、はい」

なんとも気の抜けた返事をしてフクミさんの後を追うように付いて行った。

フクミさんに案内され二、三分で居酒屋に着いた。

席につきまず飲物を注文する。

オレは会話の糸口を模索したがどうにも言葉が出て来なかった、口火を切ったのはフクミさんだった。

「はじめまして」

また覗き込むようにオレを見る。

「はじめましてシンイチです…」

家を出る時まで用意していた会話のタンスは崩壊し引出しは空き巣に入られ空っぽだった。

飲物が運ばれフクミさんは言った

「じゃあ乾杯しようか」

「あ、はい」

「何に乾杯する?」

「えっと、じゃあ…出会いに」

一瞬

「馬鹿かオレは!寒すぎ!」

とまともにフクミさんを見られずグラスに視線を運んだが彼女はまたプッと吹き出し

「うん、じゃあ出会いに乾杯!」

「乾杯!」

ホッ… それからいつもの様にゲームの話で盛り上がった。

実際に逢って会話してみるとやはりフクミさんは凄かった、ちっともゲーム好きの雰囲気を出さないのに話している内容はかなり深い。

始めて体験する女性とのゲーム対談は永遠に続いてほしいと思うぐらい酒以上にオレを酔わせた。

ふとオレは口に出した

「フクミさんは…」

その時フクミはきょとんとして気がついたように言った

「あ、ごめん。私フクミって本名じゃないよ」

え?と戸惑ったが良く良く考えればまだ逢ってもいない男に本名なんか教えないのは当たり前の話だ、でもここで本名を聞いていいモノだろうか?フクミさんはそんな事お構いなしに続けた

「ほらっ」

とフクミさんが取り出したのは免許証だった、そんなもの見せてくれるとは警戒してないと見ていいのかな?そんな躊躇しないフクミさんを見てオレも彼女に免許証を渡した。

免許証には

「○○ エイコ」

と書かれている。

あ、苗字をもじって付けた訳かと納得。

ん?昭和5X年?一つ年上のはずじゃあ…これだと三つ年上だよな?オレのハテナ?の表情を見てフク…エイコさんはあっしまったといった感じで

「ごめん。実は三つ年上です。ははは」

笑ってごまかした。

でもこれ見るまで三つ年上には見えなかったと言ったらエイコさんはふふふっと微笑んだ。

楽しい談話の最中にも関わらずオレは気になって仕方ない事があった。

どうしてもエイコさんのキャミソールから覗く白い胸元に視線が行ってしまう。

それを知ってか知らずか

「聞いてますかー?」

と掘りごたつ式の座席の下でオレの足を自分の足でつっつく

「き、聞いてます」

と答えるオレ。

赤面しているかも知れないと思えば思うほど余計に視線が踊る。

嬉しい拷問のような気もするが無理に酒を飲んでごまかした、すでに許容量は越え軽く眠気が襲っていた。

「そろそろ出ようか」

とエイコさん。

会計は全部払おうとしたが割り勘でいいと言われその通りにした。

店を出ると雨雲は通り過ぎたのか霧雨が降っていた、三月とはいえ少々寒い。

脳裏に浮かんだのは(これからどうしよう)ため息が出る。

まったくオレってやつは浮かれるだけ浮かれて何のプランもなかったらしい。

助け船を出したのはエイコさんだった

「ねぇ、イイ車乗ってるんでしょ?ドライブしようよ」

そういえば朦朧とする意識の中そんな話をしたような…。

イイ車かどうか詳しくは知らないが去年亡くなった叔父が乗っていた外車を引き取り乗らせていただいている。

車がある家までは電車で二駅だそれまでには酔いも覚めるだろう。

車を取ってくるまで待っているか聞いたが、いっしょに取りに行こうとの返事。

はい喜んでとエイコさんと駅に向かった。

二駅の間もずっとゲーム話題。

しかしまたもや電車の窓際に寄り掛かるエイコさんを眺めていた。

うまく表現できないが画集でも眺めているような興味と憧れの静観、といえば不純じゃないよな?そんなこんなで駅に到着。

車がある駐車場まで十分ぐらい徒歩移動だ、霧雨は止んでいたが空気はまだ冷たかった。

道中桜の街道を通るときエイコさんは桜の樹を見上げ綺麗と言った、オレはこくりと頷いたが心に思ったのは薄暗い街灯に照らされた桜の影から覗くエイコさんが綺麗だという事だった。

駐車場に着く。

深夜のドライブなどしたことはないが、ここら辺は片田舎で夜の交通量は知れたものだ。

綺麗な夜景スポットでも予習しておけば、と何から何まで後悔先に立たずってヤツだ。

行き先はまかせると言われて、ホテルに直行するような猛者がいるなら尊敬に値するがオレには無理。

そういう関係を望んでいるのか、ましてや逢ったばかりで…、いずれはそうなりたいのも事実だが…。

邪念を降り払い無心でオレは行き先不定のドライブへアクセルを踏んだ。

メンテナンス終了直後のネットサイトのようなガラガラの深夜の街道を走る。

車の乗り心地にエイコさんは喜んでくれているようだ。

エイコさんに目をやると街灯と信号に照らされた瞳が輝いていた、オレが見とれているとエイコさんがぱっと向き返り

「ねえ、運転させて」

と言った。

うずうずしてるそんな雰囲気だ。

エイコさんに運転を代わり、タクシーのお客気分を味わった。

「お客さんどちらまで?」

「エイコさんの家まで」

酔いが抜けてないのか咄嗟に口走った気がした

「え~やだよ~」

気がしただけじゃなく本当に口走ってしまったらしい冷汗をかいたがさらにエイコさんは続けた

「だってウチ来たらしちゃうでしょ?」

しちゃうって何を?そんなの言わなくても分かる。

この言葉どう受け取ればいいのだろう、少なくとも断固拒否というニュアンスではないように思えた。

それなら、押すしかない?答えを待つ小心者に心の弁護士軍団は四人ともYESを掲げた。

「行きましょう」

「やだ」

「行きましょう」

「やだ」

「行きましょう」

「やだ」

車は違う道を走り続けるが乗ってる人間は同じ問答を繰り返していた。

しばらくするとエイコさんは

「しょうがないなぁ」

とため息を漏らした。

思いが通じた、いや半ば呆れたといった様子でエイコさんは自分の家への道を進み出した。

オレの胸は自分でうるさいと思うほど高鳴り、鼓動が胸から全身に伝わる錯覚を感じる。

エイコさんの家へ行く、それが興奮させているんじゃない、その先を期待せずにはいられなかった。

やがて車が停止した。

「ここ?」

「ちょっと歩くよ」

車を車道の脇に停めエイコさんの後を追った。

二階建てのアパートがあったエイコさんが二階へ上がっていく、この正面の部屋が終点だと理解した。

間取りは八畳一間の風呂トイレキッチン付きといった感じか。

「ちょっと片付けるから待ってて!」

玄関に待たされる。

電気も付けないでエイコさんは部屋を片付けているらしい雑誌や衣類を運んだりしまったりしている音が聞こえる。

三分ぐらいたっただろうか入っていいよと声がした。

玄関から廊下へ、この一歩は人類にとってはどうでもいい一歩だがオレにとっては偉大なる一歩だ。

が、何故か電気は消えたままだ、なんで電気付けないんですか?と聞いた。

ちらかっていて恥ずかしいらしい。

そして部屋の中、厚手のカーテン越しに入る街灯の明かりはぼんやりと彼女を夜の闇に浮かび上がらせた。

静かだった、アパートから少し外れた道を通る車でさえ飛行機の轟音に感じた。

黙っていれば心臓の鼓動がエイコさんに聞こえるかもしれない、そんな沈黙と暗闇の静寂。

時間から取り残された小さな部屋で二人は向き合いしゃがみ込んでいた。

重要なのは行動を起こそうとする意志だタイミングなんかは問題じゃない、ただ心の底から溢れる思いを口に出していた

「やらせてください!」

大真面目な顔で言った。

好きとか惚れたとか感情の言葉は出なかった。

育む愛も理解する思いもロマンティシズム建前だ。

深淵に燻る人間の本能が計算高い仮面を壊して飾りのない一言を搾り出しただけだ。

仮面を被ったエイコさんはオレに言い返した

「そういうのはちゃんと付き合ってからじゃないと…」

自分でも幼い台詞を吐いたといった照れた表情で目を背けながら呟いた。

建前とかいう枷のないオレの答えは当然

「好きです。付き合って下さい」

だ、じっと見つめエゴな口説きをしているオレを彼女が見つめ返し囁いた。

「じゃあキスしよう…」

右手が彼女の首筋の髪を撫で耳の下で止まる、お互いの顔が近づき彼女は目を閉じオレは唇を重ねた。

しっとりの湿った軟らかい感触を一秒味わい唇を離す、目を開き見つめあいオレ達は衣服を脱ぎ捨てた。

宵闇に浮かんだ白い身体にオレは手を伸ばす一瞬強張った彼女の肌から熱が伝わってくる、その熱はオレの一寸の理性の糸を焼き切り数時間前に出会ったばかりの彼女を無我夢中で抱いた。

頭が空になり天井を眺めていた。

気がつくと外は明るみ、部屋は黄色い光に包まれ始めていた。

布団の横にはオレの腕枕で寝息を立てている裸のエイコさんがいた。

夢じゃないらしい、込み上げてくる感情はたいした文才もないオレには表現のしようがない。

いや今まで人類が書いた唄ったあらゆる言葉の中で表現出来る言葉なんて多分ない。

だが現実はいつまでも簡単な記号の連続だ。

今日もオレは夕方から店に出なければならない

「帰らなきゃ」

オレは言った。

エイコさんは目を擦り

「あ、お店?」

と顔を向けるオレは頷き体を起こし服を着た。

トイレに立ち部屋へ戻るとエイコさんも服を着ていた、そっと近づき口づけを交わし

「エイコさん…」

と言いかけた時言葉を遮られた

「付き合ってるんだからエイコって呼んでよ」

年上だけど可愛いなと胸が収縮した。

この果てしなく名残惜しい気持ちは彼女そのものか、それとも甘美な誘惑の夜なのか。

エイコが玄関に向かうオレに問い掛けた

「本当に付き合ってくれる?」

不思議な質問だと思ったオレが付き合ってくれとお願いしたのに。

その問題にはオーディエンスもフィフティーフィフティーもテレフォンも必要ない自分の選んだ答えにみのもんたがどんなにタメようと一千万円は確実だ余裕を持って椅子にふんぞり反って待ってやろう。

「もちろん」

はっきり言ったつもりだがそれでも不安そうな彼女にオレは右手の中指にしていたお気に入りの指輪を渡した

「それ付き合った印だから。エイコが毎日付けててよ」

さっそく左手の薬指にはめてみるも

「あれ、ちょっと大きいかも」

じゃあこっちでとエイコは人指し指に指輪をはめて微笑んだ。

口には出さなかったがいつか薬指にあう指輪を買ってあげたいと思った。

車道の脇に停めた車まで彼女は見送ってくれた、オレと同じ様に彼女も名残惜しいと感じてくれているのだろうか。

オレ達はまたねと手を振り家路についた。。

オレはこれから家に着き睡眠を取り店に出るんだろう、でも気持ちの違いで世の中が変わるというのは体験してみて始めて分かるものだ。

映画"耳をすませば"を見て

「なにを馬鹿な」

と悪態をついていた高校生のオレは今のオレを見てどう思うだろう?

「ニヤけてんじゃねーよ馬鹿」

なんて言うだろうか。

高校生のオレよ、あま~い物語も意外といいもんなんだよ。

家に着いた。

音を立てないように静かに鍵を開け玄関を開けた。

さすがに明け方だし家族はまだ眠っていたが白黒ブチのトモエという名前の飼い猫が出迎えてくれた。

ニャアとおかえりとでも言っているのか足に擦り寄るトモエを抱き上げ自分の部屋で布団に倒れ込んだ、トモエと毛布を被り目を閉じると心地良い眠気が襲ってきた。

ふとユーガットメールの掲示板にオレとエイコの事を報告しようと携帯に手を伸ばしたがトモエが腕に乗り掛かりここで寝るんだから動かすなと無言の抗議をした、しょうがないな携帯を諦めオレは再び睡魔に身を任せた。

だんだん意識が底の底へと沈んでいく。

今はもうとりあえず、微熱の夜におやすみなさい…。
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